古代庭園と和歌

古代の庭園文化の世界へ、ようこそ。
このサイトは、日本学術振興会科学研究費の助成を受けた「古代庭園と仮名文学の形成に関する文化思想的研究」(課題番号16K02363)の研究成果にもとづくものです(詳しくは「このサイトについて」をご覧ください)。様々な寝殿造の庭園の池をビジュアルを通して見比べたり、歌合の庭園関連和歌を調べたり、ご自由にお楽しみいただければ幸いです。
それでは、古代庭園文化の世界を堪能してください!

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庭園写真館

—池と中島—


庭園関連和歌データ

―歌合—


論文リスト

  1. 袴田光康「古代庭園文化の受容と翻案―寝殿造庭園と「名所」の発生―」、今野喜和人編『翻訳とアダプテーションの倫理』329-355頁(全414頁)、春風社、2019年
  2. 袴田光康「平安時代の庭園と和歌」、『月刊考古学ジャーナル』№697号、35-36頁(全38頁)、2017年(『月刊考古学ジャーナル』№719号、32-33頁に再録)
  3. 袴田光康「六条院と蓬莱―庭園と漢詩をめぐって―」田坂憲二・久下裕利編『源氏物語の方法を考える』189-218頁(全405頁)、武蔵野書院、2015年
  4. 袴田光康「東ユーラシアにおける庭園と蓬莱―王朝庭園文学論序説」小山利彦・河添房江・陣野英則編『王朝文学と東ユーラシア文化』161-181頁(全466頁)、武蔵野書院、2015年
  5. 袴田光康「六条院の春―「胡蝶」巻の蓬莱と浄土―」『国語と国文学』第91巻第11号、64~76頁(全176頁)、2014年

このサイトについて

平安時代の貴族たちは寝殿造という建築様式の邸宅に住んでいました。寝殿造の邸宅やその庭園の様式が形成されたのは、10世紀初頭頃と言われていますが、平安時代の作庭指南書である『作庭記』には、庭園に日本の名所の風景を再現することが説かれています。その理由の一つは、庭園を眺めながら名所を和歌に詠むためだったと考えられます。つまり、寝殿造の庭園の形成と和歌文学は、実は密接な関係にあったということになります。平安貴族にっとって庭園は最も身近な自然であり、和歌は最も生活に密着した文化でした。その庭園と和歌の相互的な関係を紹介することが、このサイトの目的です。

このサイトでは寝殿式庭園および浄土式庭園の写真資料と歌合における庭園関連の和歌について紹介します。写真資料を集めた「庭園写真館」では、平安時代に作られたとされる庭園を中心に、その前段階の飛鳥・奈良時代の庭園、日本の庭園文化に大きな影響を与えた韓国の古代庭園、寝殿造の庭園を後世に復元した庭園なども併せて掲載しています。庭園には立石や植栽など様々な要素が含まれますが、この「庭園写真館」は特に池とその中島に焦点を当てた形となっています。それは池と中島が庭園の中心を構成するからであり、また池の形、護岸の形状、州浜の有無などによって、それぞれの庭園の特徴が最も端的に示されててると考えたからです。ビジュアルを通して庭園様式の特徴や変化を楽しんでいただければと思います。

また、「庭園関連和歌データ」では、歌合に絞って庭園と「州浜」に関連した和歌を項目ごとに一覧できるようにしました。寛平御時后宮歌合(889~893年頃)が最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』(905年奏上)の成立基盤となったように、歌合は和歌が公的な文学として確立される初期段階に大きな役割を果たしました。その後、歌合は天徳内裏歌合(960年)によって様式が完成したと言われますが、9世紀末から10世紀中葉頃までの歌合の流行は、時期的にはまさに寝殿式庭園の形成期と重なります。歌合では、「州浜」と呼ばれる装飾品が準備され、それに合わせる形で左右に分かれて和歌が詠まれ、勝ち負けを競いました。歌合に用いられた「州浜」は、海辺などの風景を室内用にミニュチュア化したもので、しかも、「州浜」には日本各地の名所が再現されていました。つまり、歌合の「州浜」は、名所を再現することを旨とした庭園と同じ機能を果たしていたと考えられます。そこで、このサイトでは、「州浜」との関連も含めて、寝殿式庭園と和歌の関係を考えるために『国歌大観』をもとに歌合における「州浜」関係の和歌、および池や島などの庭園の景物(植物については含まれていません)を詠んだ和歌をデータベース化してまとめました。研究等などのお役に立てば幸いです。

このサイトは、日本学術振興会による科学研究費の助成を受けた課題研究に基づき、その成果の一端を公開したものです。最後にその課題名と研究メンバーを記して感謝の意を表します。

2016―2019年度科学研究費助成事業 基盤研究(Ⅽ)
「古代庭園と仮名文学の形成に関する文化思想的研究」(課題番号16K02363)

研究代表者 袴田光康(静岡大学)
研究分担者 堂野前彰子(明治大学) 金 孝珍(明治大学) 金 任仲(明治大学)