古代東アジアの庭園と文化

このサイトは、日本学術振興会科学研究費の助成を受けた研究の成果に基づき、その成果を公開するものです。課題名と研究メンバーは以下の通りです。

2020―2025年度科学研究費助成事業 基盤研究(C)
「古代における庭園文学と「名所」形成に関する比較文化史的研究」(課題番号20K00287)
研究代表者 袴田 光康(日本大学)
研究分担者 張 盛開(静岡大学) 金 孝珍(明治大学)

以下、韓国・中国の庭園の画像資料を解説とともにお楽しみいただけると幸いです。

日本庭園の源流

日本庭園の原形は10世紀の寝殿造の庭園に求められます。10世紀は〈国風文化〉が形成される時代で、仮名文学や大和絵など日本独自の文化が開花しますが、建築においても新たな様式が生まれました。それが寝殿造とその庭園です。寝殿造庭園は寝殿の前に広がる白砂を敷いた前庭部と池を中心とする庭園部から構成されていますが、池に中島を配した庭園部の造形は、古代東アジアの庭園様式を源流とするものでした。古代東アジアの庭園は神仙世界をモデルとしたもので、中国では秦の始皇帝の時代から、大池を海に見立て、その中島を神仙境の蓬莱山の表象とする庭園(園池)が造営されてきました。その蓬莱をモデルとした庭園様式は、朝貢関係にあった周辺の東アジアの諸国にも広がっていきました。日本には、朝鮮半島を経由して飛鳥時代に導入されたものと見られます。日本における蓬莱モデルの庭園は、飛鳥京苑池、平城京東院庭園、嵯峨野離宮(現、大覚寺庭園)などの皇室ゆかりの大規模な園池にその面影を見ることができます。それが漸く個人の私邸にも浸透したのが寝殿造庭園ということになります。

「名所」の形成

ここで注意しなければならないことは、寝殿造庭園の出現が形態や造園の技術の変化ということ以上に、庭園に表象された理念(理想の風景)の変化によるものであると考えられる点です。嘉祥二年(845)の仁明天皇四十賀に興福寺僧らから長歌と洲浜が贈られましたが、その洲浜は浦島伝説をモチーフにして海浜の風景が象られていたようです。「蓬莱」を「トコヨ」と訓読させることにも窺われるように、蓬莱という外来の神仙郷のイメージは次第に日本古来の常世のイメージと融合していきました。常世のイメージは、常世に繋がると考えられた海辺の聖なる風景、すなわち海に臨む神社など周囲に広がる白砂青松の風景として観念され、やがて「住吉の浜」、「吹上の浜」、「美保の浜」といった日本各地の「名所」のイメージと重ねられていきます。ここでいう「名所」とは、実際の現地の風景ではなく、和歌の「歌枕」や大和絵の名所絵屏風などを通して形成された観念としての風景です。観念としての「名所」の理想性が庭園に導入され、庭園の理念が中国の蓬莱から日本の「名所」へと変化していくという形で寝殿造庭園が形成されていったわけです。〈国風文化〉とは、唐を模倣してきた文化的規範が日本的なものに置き換えられていく文化現象であり、そこに改めて「日本」という国の価値が発見されていきます。観念として見出された日本の「名所」も、その一つであったと言えるでしょう。

「名所」と「歌枕」

「名所」が後世に「歌枕」として発達したことは周知の通りです。「歌枕」は、元々、和歌の用語や素材などを広く指しましたが、和歌に詠むべき名高い「名所」が「歌枕」として特化していったのは、「歌枕」が単なる地名ではなく、特定のイメージや言葉と結びついた和歌固有の表現技巧として特殊であったからです。『能因歌枕』・『五代集歌枕』・『八雲御抄』・『歌枕名寄』などの歌学書でも「歌枕」を重視したのはそのためです。「歌枕」が「名所」の実景を写実的に詠むものではないことは言うまでもありませんが、日本の国土のうちに実際にある「名所」ですから、いつかはその風景をこの目で見てみたいという憧れが、「歌枕」への関心を強め、その理想化を促した側面もあったと思われます。さて、中国の漢詩においても「歌枕」に類似する表現があることが指摘されています。松浦友久氏は「「詩跡」と「歌枕」」の中で、「特定のイメージを共有しつつ、明確な古典詩語として確立された具体的な地名」(『万葉集』という名の双関語―日中詩学ノート』51頁)を「詩跡」と呼びました。李白や杜牧などの詩に詠まれた景勝地を、後世の詩人たちが訪れてまたそこで詩を詠むことが積み重ねられていくことで「詩跡」化していくというものです。2015年には松木久行編『中国詩跡事典―漢詩の歌枕』(研文出版)も出版され、「詩跡」の研究も進んでいます。「名所」の実景と離れて発展した「歌枕」との相違があるものの、「名所」の表現において日中の文学に共通点が見られることは興味深いものがあります。中国には伝統的に「詩情画意」という芸術間観がありますが、宗之問、王維、白居易などの唐代の詩人たちは自らの庭園に「名所」を再現させ、詩情に浸りました。この点も、塩釜を模した源融の河原院や天橋立を真似た大中臣輔親の邸宅など類似するものと言えます。「名所」と庭園の関係においても東アジア的な共通基盤があり、そこには文学が密接に結びついていると考えられるのです。

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庭園写真館


庭園関連データ


研究成果

  • 発表
    • 十世紀における「名所」の形成(物語研究会 2024年6月15日)
    • 屏風絵における和歌と「名所」(令和3年度日本大学国文学会 2021年7月10日)
  • 論文
    • 十世紀における「名所」の形成―河原院の「塩竃」をめぐって―(『語文』第178輯 2025年1月15日)
    • 『源氏物語』の六条院と四季の庭―二つの四季表現から―(『語文』第170輯 2021年6月25日)