ここでは、古代の庭園以外の庭園で参照すべき庭園を5つほど紹介する。1つ目は城之越遺跡(古墳時代前期~鎌倉時代)である。城之越遺跡は、4世紀後半の居住地に隣接した大型の流水施設で、三か所の湧水地点から流れ出た水が約2メートル幅の曲がりくねった水路を形成しており、古代の祭祀空間であったと言われる。水流の合流地点にあたる岬の先端には50センチほどの高さの立石や石組があり、また、なだらかな傾斜をなす水路の両岸には礫状の石を敷き詰めた貼石が施されているなど、後世の庭園の造形に通ずる要素も認められる。古代東アジアの池と中島による蓬莱型庭園様式が日本に導入される以前のものであり、蓬莱を表した中島も無いことから庭園とは言い難いが、「斎庭(さにわ)」という言葉が示す通り、古代日本の庭は神を迎える祭祀の場でもあったことは否定できない。10世紀以降の寝殿造庭園においてさえも、白砂を敷き詰めた庭園の前庭は儀式空間として用いられていた。日本の庭園の古層には、こうした聖なる空間としての庭の伝統が息づいていたのであり、城之越遺跡はそうした日本の古代庭園の原形として注目に値するものと言える。また、「平安の庭」で取り上げた庭園の殆どが寺院に残る浄土式庭園であるように、現在、平安時代の寝殿造庭園は一つも残ってはない。「浄土式庭園は、様式的な構造においては寝殿造庭園と全く同一で、ただ見る側の認識が蓬莱か、浄土かの違いと言われるが、やはり寺院の庭園であるという点で貴族の邸宅に作られた寝殿造庭園とは全体的な印象を異にすることも否めない。そこで、後世の17世紀に作られた庭園ではあるが、京都御所の庭(江戸時代初期)、京都仙洞御所(江戸時代初期)、桂離宮(江戸時代初期)、また、現代の歴史テーマパークであるえさし藤原の郷(平成5年開業)の寝殿造邸宅の再現庭園を参考として紹介する。加えて、飛鳥の石造物のレプリカを集めて展示している飛鳥資料館の写真も掲載した。これらを併せて参照することで古代庭園の理解の一助としたい。